上杉謙信の能登攻め

1576年11月、謙信は信長方と手を結ぶ畠山氏の堅城・七尾城を攻める

宿敵・武田信玄の死により、武田家が弱体化、越前の朝倉義景が信長に滅ぼされたことなどを背景に北陸遠征を開始する

信長と謙信は一向一揆を共通の敵としていたため、「敵の敵は味方」として同盟関係にあった

しかし、織田勢が北陸に進出したため、対決は避けられなくなります

謙信は、敵対していた一向一揆を指導する本願寺と同盟を結び、信長との関係を断つ

将軍・足利義昭とも通じていました

中国地方の毛利輝元は上洛に関心を持たなかったため、謙信対信長の構図が出来上がった

謙信は、七尾城を取り囲み長期戦を覚悟

籠城されたら攻めようがないくらい堅城です

謙信は、一旦帰途につきますが、「白い滝に烏が群がり始めた!」という情報に、「米は残っていても水は尽きた」と判断し、引き返して城を攻め陥落させた

食料も水も十分あると見ていたのですね

続いて、信長軍を手取川の戦いで撃破する

勝因は、松永久秀征伐のため信長が北陸から兵を引き揚げたことを見抜いたのです