『家康黒幕説・偏差値20』

「泣かぬなら啼くまで待とうホトトギス」

信長に嫡男の信康、妻の築山殿を死に追いやった信長への不信感は相当のものであっただろう。家を護り、存続するために信長に従属した家康にとってはお家第一だったのでしょう

家康が殺意を持つとしたら、信長が自分を殺害し、徳川家を滅ぼそうとした時

 

以下、状況証拠を列挙

・6月2日、本能寺の茶会で家康謀殺が計画されていた?

・本城惣右衛門覚書には、明智軍の兵士たちは上洛中の家康を襲撃するものだと信じていた

・信長は、家康が力を持ちすぎ危機感

・尾張・三河・駿河を召し上げ、東北へ転封

・安土城饗応で光秀と密会

・奇跡の脱出、逃亡ルートを事前に確保

 三宅家(光秀娘婿)資料:後日家康が感謝状

・利三娘(お福・春日局)を家光乳母に採用

・信長に、父・広忠、叔父・信元、長男・信康、妻・築山殿の4名が殺されている

・家康がなぜ本能寺の変を事前に知っていたか、光秀との共謀か?

・家康は光秀に恩義を感じていた