北前船廻船問屋森家のオイ
オイには囲炉裏が切ってあり、商取引の場であった。吹き抜けは梁が井型に組まれた見事な建築美を見せている
明治6年の岩瀬大火で家屋が焼失し、現在の建物は明治11年に建てられたものです(築145年)
森家(明治までは四十物屋仙右衛門家)は、江戸末期から明治にかけて、北前船の船主、肥料商、諸国の廻船業者と取引のあった廻船問屋でした
大正時代まで家の裏は神通川の船着き場であった
玄関から船着き場まで「通り庭」と呼ばれた土間廊下が続き、土間廊下に沿って母屋、台所、庭、道具蔵、米蔵が続いた
小生の祖先も往来したであろう航路港
岩瀬のメインストリートは、江戸時代には加賀藩主、大聖寺藩主の参勤交代の往還道であった
春には、肥料を仕入れる人が岩瀬へ押し寄せた
秋には、二百近い村々から藩の御蔵や町蔵へ米を納める人々が馬に俵を付けて岩瀬へ集まった
また宿場町であったので他国からの旅人のための宿屋、茶屋、食べ物屋で賑わった
明治には馬車や荷車で肥料を運ぶ人たちで大町通りはごった返した
近在の百姓への肥料だけでなく、農具や生活に必要な品物を売る店も大繁盛したという
17:17分、富山駅に帰還










