13:54分、鬼ケ城直下の車道を横切り沢へ降りる登山道がありましたが、烏ケ岳への沢道が荒れていたので、こちらもその恐れがあると判断し、車道を下ることにした

車道へ降りる仲間たち

山道が限界と思われる人も数人

庵我集落へ下山

※庵我:古代は庵我郷、中世は荘園として栄えた。鬼ケ城、烏ケ岳は庵我に属する

赤井刑部少輔忠家(幸家=直正の実弟)は、毛利方の吉川元春と手を携え、足利義昭を頂きて此処を本拠に据え、愛宕山から京を攻め、次いで安土を奪う計画を立てていたが、天正7年7月7日信長方の光秀に攻囲され10月23日没落す(天田郡志資料より)

車組はここで分かれ三段池公園に向かった

由良川に架かる新音無瀬橋(昭和63年5月完成)を渡る

烏ケ岳~鬼ケ城への稜線

由良川右岸堤防

反対側から

福知山駅直帰(京都組)の二人を見送る

体育館でトイレをお借りしました

堤防で寛ぐひととき

丹波は、戦乱に明け暮れた戦国時代の象徴です