主郭や曲輪、砦が完成したのは天正3年から7年に及ぶ明智光秀との攻防戦に備えた頃と思われます

大手道である正面の南尾根には三段曲輪を配し、続いて7合目あたりに規模の大きな石踏の段を構えて敵の侵攻に備えています

また、同じ等高線上に太鼓の段、東の尾根には東出丸、北西に北の丸、さらに深い谷を隔てて西の丸を横一線に配置し、相互の連絡ルートを設けて主郭部の周囲を守っています

敵の侵攻に合わせて見方が各曲輪間を移動して戦うための工夫で、戦国末期の山城によく見受けられます

主郭部を中心とする主な尾根上約1km前後の位置に、最前線の防御拠点として東山砦、龍ケ鼻砦、千丈寺砦があります

それぞれの砦は、曲輪や土塁、堀切などを築くとともに、軍勢の駐屯のための足場となるような平坦地も認められ、独立した城郭としての機能を果たすことも意図したものと考えられている

兵主神社西砦へ降りるテープだろうか?

踏み跡が見えないので200mほど斥候した

何とか下りれるだろうと判断したが、千丈寺山の南側は絶壁だ