<荻野直正と武田勝頼>

反織田勢力として情報を知らせ合う書翰の往来がありました

11:52分、本丸を去る

東西呼応して立ち上がろうと跡部勝資、長坂光堅などの武田の密使がたびたび来城していました

西の丸へ向かう草わら道

<荻野直正と吉川元春>

中国の雄・毛利輝元、吉川元春、小早川隆景と荻野直正を中心とする丹波・但馬の諸豪は信長打倒への上洛作戦「三道併進策」の盟約を結びました

足元もあまりよくありません

吉川家文書等にその緊迫した動静が窺えます

一部ガレ場です

毛利の外交僧・安国寺恵瓊もたびたび当地を訪れています

光秀の謀反が丹波の国人衆から恵瓊を通じて秀吉に報らされた可能性はないか?

急坂のロープ場

<荻野直正と顕如>

信長と敵対する直正は、石山本願寺とも気脈を通じていました

本願寺第11宗主の顕如の家老であり、一向一揆を指導していた中心人物の一人である下間頼廉との間につぶさに情報のやり取りがあり、その書状が遺されている

険しい道

西側もなかなか手強い

屹立する岩頭

尾根道

西の丸へ駆け上がる

西の丸:主郭部から西へ深い谷を隔てて配置された曲輪で、小城とも呼ばれる

土塁、堀切、櫓台、切岸など戦国の城の遺構が見事に残る