明智光秀が丹波攻略(八上城と黒井城を分断するため)のため築城した金山城を訪ねた

 

8月30日11:20分、丹波篠山大山宮地区にある追入(おいれ)神社で昼食をとり、金山城に登った

古来より但馬と丹波、摂津を結ぶ街道筋の宿場に鎮座する古社

追入の由来は、鐘を盗んで逃げた神様を別の神様が追いかけた。追っかけた神様を祭る神社を「追手神社」、もう一方を「追入神社」とした?

参拝した後、木陰で昼食をとりました

その間、シャツの汗を絞り30分ほど乾かしました

金山城跡は明智光秀による丹波攻めの際に、八上城を攻略するための陣城として築かれました

樅ノ木かな?

11:52分、登山開始

多紀郡(現篠山市)と氷上郡(現丹波市)の境に位置する金山530mの山頂付近に曲輪が築かれ、主郭部には石垣が一部残る

天正3年(1575)、織田信長の命を受けた光秀によって荻野(赤井)氏の居城であった黒井城攻めが行われました

当初、八上城の波多野氏は明智側につきましたが、天正4年1月、荻野氏側へ寝返り、背後をつかれた明智軍は敗走しました

天正5年、再び明智軍は丹波に攻め入り、天正6年3月に八上城を包囲し、激戦の末、天正7年6月に八上城は落城、黒井城も同年8月に落城した

光秀が金山城を築いたのは八上城を包囲した後のことで、氷上郡を見渡せる金山に陣城を築いたのは、黒井城からの支援を絶つためであったと考えられている

ケヤキの巨樹が迎えてくれました