9:37分、高城山山頂に立つ波多野秀治表忠碑
波多野秀治をたたえる石碑で、昭和6年(1931)住民の寄付により完成
英凰千古
揮毫は公爵毛利元昭
碑文には、秀治が毛利元就とともに正親町天皇の即位の費用を献上したとされることや、この功績から大正天皇が正三位の位階を追贈したことなどが書かれている
時代を経て波多野氏碑文に揮毫するほど両家の繋がりが強かったということか
天正3年、光秀の丹波攻めで、秀治は光秀に味方して出陣したが、翌年正月1月15日「にわかに秀治は荻野直正に通じると光秀軍を敗走させた
苦杯を味わった光秀がふたたび丹波に兵を進めたのは天正5年10月の事で、前回の失敗に懲りた光秀は八上城の周囲に付け城(陣城)を築いて、徹底した包囲作戦を布いた
秀治も新たに曲輪を築くなどして八上城を改修、明智勢を迎え撃った
両軍激しい戦いが繰り広げられたが、光秀の徹底した包囲戦によって八上城内は飢餓状態を呈した
天正7年6月、秀治ら三兄弟は城内の路地で捕らえられ、光秀のもとに差し出された
三兄弟は安土の信長のもとに送られ、信長の命によって安土城下の慈恩寺において磔の刑に処され、戦国大名波多野氏は滅亡した
碑文の「英凰千古」
波多野氏は滅びたが、その英姿は永遠ということか!











