前田主膳屋敷跡
一帯は石垣に覆われていたが、篠山城築城に際してほとんど運ばれたとか
主膳(前田茂勝)は、丹波亀山藩主、のち八上藩主になった
前田玄以(利家)の三男
末裔の方が建てられたのでしょうか
文禄4年(1595)にキリシタンとなる
関ヶ原の戦いでは西軍に与して、東方軍の細川幽斎が守る丹後田辺城を攻め、開城の使者も務めた
関ヶ原の戦いで敗北するが、父玄以が持つ朝廷とのパイプなどが考慮されて、戦後父の所領・丹波亀山藩は安堵された
慶長7年(1602)、父・玄以が死亡し家督を引き継ぎ、丹波八上に移封され八上藩主となった
熱心なキリシタンであったため幕府に危険視され、また藩政を省みず放蕩に耽り、終には発狂したという
諫言する家臣を多く切腹させたため、慶長13年(1608)改易される
甥の出雲松江藩の堀尾忠晴に身柄を預けられ、キリシタンとして真面目に余生を送った
元和7年(1621)、40歳で死去
鴻の巣とは番所の事かな
篠山盆地
冬芽が鷹の爪を連想させるところから名付けられた











