峯の堂直下の登山道は荒れていました

この日すれ違ったグループは3組だったかな

迷い込みそうなところはロープが取り付けられています

79歳のリーダーは衰え知らず

人数が足りないぞ、トイレかな?

崖の上から撮りました

天正5年、丹波丸岡城主・福井因幡守貞政は八上城の波多野氏に従い、信長の命を受けた光秀の降伏勧告を拒否したため、翌年光秀に攻められ福井氏一族は滅亡した

山帰えり 肩荷を解く一服場

小生も棚田へ肥料を担ぎ上げたり、稲や炭俵を担ぎ下ろしたりしましたが、一服場での一息は格別でした

応和2年(962)、丹波国の郡司・宇治宮成が仏師感世に聖観世音菩薩像を彫らせ完成した。これに対し檀家の皆さんは感世にお代として馬をとらせたが、宇治宮成は、その馬までも手に入れようとして、帰路の感世を待ち伏せ殺そうと矢を射た。ところが感世は生きていて、射た矢は感世に彫らせた聖観世音菩薩像の胸に突き刺さっていた

樹間から亀岡の街が見えてきました

土を掘りだした跡があり、堤の土手のような感じでした

明智越えの亀岡側の入り口にあり、京都と丹波を結ぶ重要な役割を果たしていたようです