次々と花は変わらず咲き誇る

筒井藤勝、あるいは藤政と名乗っていたが得度して順慶と改める

心象がオーシャンビューに暮れてゆく

父順昭は、興福寺一条院に属する有力宗徒で武士化し、大和最大の武士団となり、戦国大名化した

生きる道喜怒哀楽の風といる

順慶2歳の時、順昭が病死。叔父の筒井順政が後見人となり、順慶が家督を継ぐ

漏刻へ募る思いよ梅雨最中

当時の大和は「大和四家」=筒井氏・越智氏・箸尾氏・十市氏や僧兵を擁した興福寺の勢力が強く、守護職の存在しない国であった

泰然自若晴耕雨読趣味が増え

永禄2年(1559)、三好長慶の寵臣である松永久秀が侵攻し、永禄5年には筒井氏と協力関係にあった十市遠勝が久秀の軍門に下るなど厳しい情勢にあった

たっぷりと脳の引き出し老いの知恵

永禄7年、順慶18歳のとき叔父・順政が死去

終章を花いっぱいにして生きる

永禄8年(1565)、三好三人衆と松永久通の軍勢が将軍・足利義輝を暗殺したが、松永久秀と三好三人衆は決裂する

知らぬ間にうがい手洗い習慣に

久秀は急遽、後ろ盾をなくした筒井城の順慶に奇襲攻撃を仕掛け、順慶は筒井城を追われる

夏立つや不思議な力湧いてくる

室町後期作風ですから順慶も拝んでいるでしょう

遠い日の彼思い出す月見草

永禄9年、順慶は力を蓄え、三好三人衆と結託し筒井城の奪還を企図する

利子だけで老後は食えた時もあり

美濃庄城を降伏させ、筒井城へ迫った。堺で久秀は三好義継と戦闘している間隙をついて筒井城を奪還した

勇気あるねいいえ無謀と運の強さ

筒井城を奪還した順慶は春日大社に参詣、宗慶大僧都を戒師として得度し藤政から陽舜房順慶と改名した

赤文字は、奈良新聞「大和柳壇」より

本文はウィキペディア参考