大阪冬の陣では徳川方が本陣を置き
夏の陣では真田幸村が本陣を置きました
標高26mで大阪で6番目に低い山です
茶臼山は5世紀に築造された前方後円墳とみる説と
延暦7年(788)、和気清麻呂が上町台地を東西に横切る運河を掘ろうとしましたが、茶臼山南側の河底池はその時中断した運河の跡で、茶臼山は掘り出した土を積み上げたものだとする説があります
大坂夏の陣 慶長20年(1615)5月7日
徳川方総兵力155,000に対し、豊臣方総兵力は55,000
真田の赤揃え陣を構える茶臼山の真田幸村隊3500は、正午過ぎ徳川方最強の松平忠直率いる越前勢15000と激突した(天王寺口の戦い)
数では劣る真田隊ではあったが、高い戦意と捨身の攻撃で越前勢を突き破り、徳川家康の本陣めがけて一文字に三度の攻撃を仕掛け、あとわずかで家康の首に手が届くところまで攻めるも、
数に優る越前勢が混乱から立ち直り反撃を開始、しばらく茶臼山に拠って抵抗をつづけた真田隊も激戦を戦い抜いて疲弊し、真田山の北にある安居天神で休息しているところを越前勢に打ち取られる
合戦後、茶臼山山頂にて家康が戦勝を祝した
江戸時代にはこれに敬意を表して禁足地とされていました
恩義を忘れ、私欲を貪り人と呼べるか・・・真田幸村
定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候・・・真田幸村










