篠山盆地のほぼ中央にある丹波富士・高城山460m

八上城は波多野秀治の居城であったが、天正3年(1575)信長の命を受けた光秀軍により攻略される

黒井城主・赤井直正の支援があったが、兵糧攻めにより秀治は捕らわれ、安土城下で処刑される

その後、弟・秀香が二か月間籠城するも討死し落城、天正7年波多野氏は滅びた

中央奥が高城山

青山神社社殿

天守台石垣

子爵青山忠誠(ただしげ)公墓碑

篠山藩5代藩主の青山忠良の十男として江戸で生まれ、兄の忠敏に嗣子のないまま没したので家督を継ぐ

陸軍士官学校を卒業し、陸軍歩兵中尉まで昇進するも、29歳で死去

頌徳碑によれば、明治8年旧藩子弟を東京に招き学費を給して進学させ邸内に寄宿舎を設け、尚志館のもとを開いた

明治9年篠山に篠山中学舎を設け人材の養成に努め鳳鳴義塾の基礎を築いた

篠山城の中核を担った大書院

豊臣家と西国大名を分断する目的で築かれた

天下統一により太平の世を迎え、山城や天主は必要性が少なくなったのでしょう

戦国時代は日本に一代変化をもたらしました