関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)大阪城の包囲と、豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を抑える拠点とするため篠山城を築いた

築城工事は西日本の15か国20諸侯の大名に夫役を命じた天下普請で行われた

縄張奉行の藤堂高虎、普請総奉行の池田輝政らが指揮を執り、突貫工事によりわずか一年足らずで完成しました

天守閣は家康の命令で築かれていない

初代城主は家康の実子松平康重が八上城から移城

松平三家8代と青山6代といずれも徳川譜代の有力大名に引継がれ、明治維新まで篠山藩5万石の役割を果たした

明治維新以後、大書院だけを残し城内のほとんどの建物が取り壊されました

石垣と堀、馬出などの遺構がほとんどその原型を残していることから、昭和31年(1956)に国の史跡に指定されました

平成18年に「日本百名城」に選ばれている

近江穴太衆による石垣

笹山という小山を利用した一辺400mの平山城

天守台から正面高城山(八上城跡)を望む

天守台があるのに天主閣を作らなかったのは、平和の世に必要がないと考えたからでしょうか!