一度は光秀を打ち破った赤井直正
それには波多野秀治の裏切りがあった
丹波の名族・波多野氏最後の当主である秀治は、八上城を居城として丹波に勢力を誇った
はじめは信長に従い、光秀軍に加わったが、黒井城攻めに際して突如反旗をひるがえし、光秀軍を打ち破った
普通、敵方から加わった者は先鋒を任されるのだが、この時は後方を任されており、光秀軍は挟み撃ちにあった
波多野秀治は信長に太刀や馬を贈り媚を売っていたようだ。それにしても甘い判断である
その後、態勢を整えた光秀軍の数度に及ぶ猛攻に耐えたといわれる
手前の富士型は千丈寺山で千丈寺砦があった
ここまで行く予定であったが、地元の方が何もないですよと、言われたので断念した
天正7年(1579)、ついに落城し、安土に送られて処刑される
その際、秀治の助命を保証するため、光秀の母が人質となったが、信長の約束違反によって殺されてしまう
天守迄到達することが難しい
どんな城郭であっただろう
想像が膨らんでくる
山裾にある円錐形上の山(小富士山)に光秀が陣を張った












