麓には、赤井直正に刺殺された叔父の前城主・荻野秋清の下館「留堀(とんぼり)城跡」がある
赤井直正は叔父である荻野秋清を宴の席で刺殺し、黒井城を乗っ取った
弘治3年(1557)、兄・赤井家清が丹波の覇権を争った香良合戦での傷がもとで死去
まだ幼い甥の忠家が赤井家を継ぐと、その後見人として赤井一族を実質的に主導した
武勇に優れ、丹波国一の実力者であった内藤宗勝(松永久秀の弟)を打ち破るなど、「丹波の赤鬼」として恐れられた
赤井直正は養子縁組で荻野姓になり、光秀との合戦に挑む
荻野姓を名乗るも、長兄亡き後の赤井一族の後見人としても尽力し、甲斐の国の武田一族の戦略・戦術本として名高い「甲陽軍旗」にも「丹波の赤井悪右衛門」と記されている
このような事情から、地元春日では赤井(荻野)直正と表記している
通称の悪右衛門の悪は勇猛さを示している
明智軍による第一次丹波攻め・黒井城の戦いでは明智軍を撃退している
天正6年(1578)、明智軍の第二次丹波攻め・黒井城包囲前の3月城内にて病死(満49歳)
翌天正7年、黒井城は落城する
赤井家の子孫は徳川家の旗本や、藤堂高虎の家臣となっている











