5月30日、麒麟がくる「猪ノ口山・黒井城跡」を訪ねました

365m山頂部は台形上に均されている

大阪7:23分発丹波路快速⇒黒井駅9:10分着。所要1:47分

黒井駅はICカードは使えません。車内で精算しました

駅前にはマスクを着けたお福像が出迎えてくれました

天正7年、光秀は黒井城を落とし、家臣の斎藤利三を城代として入城させた

利三は坂本から妻・お安と子供たちを黒井陣屋に呼び寄せました

天正7年の年の瀬も押し迫った頃、呱呱の声をあげたのが後の春日局(幼名・お福)です

利三は、光秀の居城となった亀山城と往来を重ねながら、天正9年まで足掛け3年、この地に住みました

地元では陣屋(現興禅寺)を斎藤屋敷と呼び、すぐ下を通る道を陣屋町、近くにある四つ辻を札場(各種の高札を建てる場所)と伝承しています

天正3年(1575)、天下布武をねらう信長は丹波攻略を命じましたが、丹波国人衆の抵抗は激しく、中でも最後までこれに抗したのは、八上城主・波多野秀治と黒井城主・荻野(赤井)悪右衛門直正でした

天正7年6月、明智の大軍の前にまず八上城が落ち、続いて8月、すでに前年、城主の悪右衛門直正を病気で失っていた黒井城が落城して、丹波の戦国史はここに終わりを告げました

その戦後処理のために黒井城に入ったのが明智光秀配下の名将とうたわれていた斎藤内蔵助利三です

利三は、黒井城の下館(現興禅寺)を陣屋として西丹波一円の治安にあたるとともに領民をいつくしみ善政を敷きました

現在、北の城下に当たる百毫寺(市島町)には、利三が門前城下中に宛てた軍役用捨の書状が残っていて、その一端をうかがうことができます

黒井山「稱名寺」

スケールの大きな龍の彫刻

風化した石仏群