信長の妹婿・浅井長政の寝返りにより挟み撃ちに遭い、金ケ崎城に光秀、秀吉を残し撤退を決意した
信長は4月28日即日、撤退を決意
若狭街道を南下し京を目指した
29日、近江の豪族・朽木元網らの協力で熊川から鯖街道・朽木越を無事通過した
30日には京都に到着。供は数十人だったといわれる
浅井長政の裏切りを知らされた信長は「虚説」と取り合わなかったというが、事実と分かるや電光石火、素早く撤退した
信長への最初の裏切りは浅井長政であった
この時の論功行賞で光秀と秀吉は飛躍した
光秀は宇佐山城番将、秀吉は横山城城番に抜擢される
横山城と小谷城は10kmの至近距離にあり、秀吉は対浅井軍の最前線に立たされたが、姉川の合戦では徳川家康の活躍もあり辛勝(決着するまではいかなかった)
宇佐山城は京と近江を結ぶ街道を見下ろす山城
初代番城の森可成(蘭丸兄弟の父)が滋賀の陣(朝倉・浅井連合軍との戦い)で戦死したため、光秀が後釜として据えられた









