秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ・・・天智天皇

近江大津宮は、壬申の乱の悲劇に遭って5年半で崩壊し、その後その跡は歴史の中に埋もれて幻の大津京とも語られ歌枕として万葉集や、その後の歌人たちにより数々の歌が残されています

近隣一帯には大津宮跡の史跡指定地が点在し、当時の進んだ文化を物語る貴重な出土品が発掘され、南滋賀町廃寺後・崇福寺跡などとともに、往時の皇都、大津京を偲ぶことができます

その後を受けた天武天皇は、壬申の乱での対峙にもかかわらず多くの施策を受け継いで発展させられ、律令制度として結実していきました

平安時代、律令国家の基礎を築いた中興の祖として、天智天皇は歴代の天皇の中でも格別日崇敬が深く、小倉百人一首が選定されるにあたって巻頭に天智天皇御製がおかれたのもその一環と言えます

冒頭の句は広く親しまれ、歌かるたの祖神として仰がれています

このような天智天皇の御事績、御遺徳を昭和天皇は心中深く刻まれて、先の大戦後復興を近江神宮の御祭神に御祈願なされ、その模範となさいました

昭和天皇は、「この度の敗戦はまことに遺憾の極みであるが、1300年前の天智天皇の唐・新羅の軍と白村江に戦って大敗した歴史がる

天智天皇は直ちに兵を撤し、国内諸政の一新を企てられ」、文化の振興、国力の充実を図られた

これを模範として諸政一新、文化経済を盛んにして将来に対処したいと強く念願している

一同もこの旨を体して大いに発奮努力して欲しい」との勅命を、稲田周一氏(元滋賀県知事・侍従次長)が直話を賜り、昭和天皇の大御心をお伝え申し上げました

戦後の再起が危ぶまれた日本が経済大国として発展したことを鑑みるに、昭和天皇の並々ならぬ御決意と御辛苦に深く感応した