社殿に佇んでいたら宮総代の大兄がバイクで上がって来られました

もっとお話をお聞きしたかったのですが、お忙しそうだったので控えました

社殿右奥にある案内板を宇佐山城跡に向かいました

信長は、浅井・朝倉勢の南下を防ぐために宇佐山城を築き、森可成を配置した

椎の森

志賀小 H21年6月4日の日付

案内標識ありがとう<m(__)m>

元亀元年(1570)9月20日、浅井・朝倉連合軍が坂本に着陣、滋賀の陣が勃発

いざ、進軍

森可成は宇佐山城を出て戦ったが討死

人工林帯に入る

信長は三好勢を攻めるため摂津に進軍していたが、苦戦の知らせを受け急遽坂本に戻り参戦

光秀も加勢している

しばらく登ると山頂直下に石垣が現る

450年近く放置されていても遺る石垣

浅井・朝倉勢は比叡山魂の「壺笠山」に陣取り織田軍と対峙した

ところどころ崩落しています

その時、光秀は穴太に配置された6人の武将の一人だった

光秀になった気分です

延暦寺山門が浅井・朝倉勢に味方し膠着状態が続いていた

石垣の間から生え出た樹木

朝廷の仲裁で講和がなり滋賀の陣は終わった

人手が加えられた様子はなく、野ざらしです