光秀は中世以来の戦闘法を廃して、総大将の命令が部下によって忠実に実行され、自由自在に軍事行動が行われることを目指したのである
二点目に、末端での兵士の掌握と、彼らに対する指揮。これについても「光秀軍法」に見ることができると考える
第4条に「進軍にあたって、馬乗すなわち将校が兵から離れて後ろにいるということがあっては、たとえどのような場合にあっても我が軍の役には立たない」とある
これは指揮の問題でもあるが、それよりむしろ、兵士たちをしっかりと掌握することと命令のスムーズな伝達と実行を目指したものであると思われる
なぜなら、末端で兵士たちを掌握し、上からの命令を彼らに伝え実行させるのは外ならぬ馬乗たちであり、そのため彼らは常に兵士たちと共に行動しなければならないからである
第4条の後に「時によっては死刑にする」とあるところから、光秀はこの4条をかなり重視していたようである
三点目は、各部隊の緊密な連絡連携についてである。第3条は「各部隊はその兵をまとめ、前後の部隊と離れることなく互いに連絡を取るべきこと」とある
もし各部隊とその将兵がバラバラ勝手に戦うとチームワークがとれず、部隊としての戦闘力は大きく制限される
例えば蒙古襲来の時、目先の手柄を追い求め、一騎打ちを挑み、一人一人がバラバラに戦った日本軍に対し、元軍は部隊の体系を絶対に崩さず日本軍を各個撃破していったのである
四点目は、厳正な軍律である。これは部隊が一つのチームとして行動づるのに欠かせないものであり、基本ともいえることである
「光秀軍法」では命令違反や規律違反に対しては領地の没収や死罪という厳罰で臨み、その点には特に気を配っている
以上、光秀軍法は規律厳正で上下に統制の行き届いた軍隊を目指したものである
奈良大学城郭研究会第22号(平成5年発行)を参考











