心とも知らぬこころをいつのまに我が心とやおもひ染めけむ・・・慈雲尊者

行者滝の上に立つ慈雲尊者住山「雙龍尾道址」石碑

「多聞は労して功なし」

多聞の労力は甚だ大であるけれど、結果として得られるものなどない。知識を理解したとしても妄想を大きくするだけである。見ても見ず、知っても知るところがなければ、どれだけ小さなもの一つからでも、そこから膨大な数の経巻(経巻に説かれている真理に匹敵するもの)を引き出すことだできる

この岩の上に立っています

たずねずばありともここに山鳥の長尾の奥の滝の白糸・・・近衛前久

禁裏の信長対策に奔走し、光秀と交流のあった時の関白・近衛前久が本能寺の変の翌年天正11年(1583)に当地を訪れたときに詠んだ歌です

どんな心境だったでしょうね(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

慈雲尊者が滝行をし、ここ座禅岩で止観行をされたようです

小生も座禅をしてみました

体が硬くなって結跏趺坐を組むことはできませんでした(半跏坐)

滝の音と小鳥のさえずり以外の音は遮断された世界です

滝の水流で垢離を取り心身を鍛錬する行

神仏に祈願する(真理を探究)ときには水垢離をします

修験道は心身を清め禊をしながら巡礼するのが習わし

そうすれば無念無想の境地へ

小生の体験では、3日半の断食座禅で心身を消耗仕切った時、何も考えられない、思わない境地になりました

夜は腹が減って眠れないかと不安でしたが、10時に床に就くと一瞬で眠りの世界に入りました

起床の4時半まで熟睡でした