28日、長髄彦(ながすねびこ)本拠之碑を訪ねました

日本神話に登場する人物で、神武天皇に抵抗した大和の指導者のひとり

石碑は池の畔に立ち、周りには桜が植えられています

古事記では登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)と表記され、神武東征の場面で、抵抗した豪族の長として描かれている

日本書紀では自己の正当性を主張するため互いに神璽を示しあったが、それでも長髄彦が戦い続けたたために饒速日命(にぎはやひのみこと)の手によって殺されたとされる

長髄とは記紀では邑(鳥見)の名であるとされている

邑の入り口に立つ堂舎

長髄彦は神武天皇に「昔、天つ神の子が天の磐船に乗って降臨した。名を櫛玉饒速日命という。私の妹の・・・中略・・・天つ神の子がどうして二人いようか。どうして天つ神の子であると称して人の土地を奪おうとしているのか」とその疑いを述べた

天皇は天つ神の子である証拠として、天の羽羽矢と歩靭を見せ、長髄彦は恐れ畏まったが、改心することはなかった

そのため、間を取り持つことが無理だと知った饒速日命に殺された

皇師(みいくさ)遂に長髄彦を撃つ。連(しきりに)戦ひて取勝(か)つこと能はず・・・中略・・・

役行者像でしょうか

今鳥見(とみ)と云ふは、是(これ)訛(よこなば)れるなり

10mほどの高さに祀られてありました

冒頭の石碑「長髄彦本拠」は神武天皇と戦った場所とされている

※ウィキペディア参考