信長が約6年の歳月をかけて築城した豪華絢爛な城郭でした
四百数十年経っても、その重厚な石垣や礎石は天下布武を号令した信長の城にふさわしいものでした
今回訪ねることが出来なかった、信長の館、考古博物館は山耀会「麒麟がくるシリーズ②」で訪ねることにしている
今回の探訪で新たに関心を引いた「観音正寺」「長命寺」「沙沙貴神社」「沖島」「八幡山城」「近江商人の街並み」なども訪ねたいと思っている
天正19年6月2日、信長は光秀に裏切られ、本能寺で倒れました
光秀は将軍となる前の足利義昭の家臣として、永禄11年(1568)10月義昭の奉じた信長の入京に従います
やがて光秀は信長に重用されるようになり、元亀4年(1573)に京を離れ信長の家臣となります
近江や丹波の支配を任され重臣に取り立てられ、信長の天下統一の重要な役割を担っていたのですが、目前にして夢幻となりました
足利義昭と上洛してから14年、信長の家臣として9年、怒涛の戦国時代を駆け抜けるはずでした
本能寺の変から11日後、6月13日の山崎の戦で秀吉軍に敗れ坂本城へ向かう途中、山科の小栗栖で武者狩りに遭い落命する
本能寺の変の動機は「怨恨説」だと言われているが真実は分からない
光秀は以前から京都の政治に関与し、近衛前久、勧修寺晴豊、吉田兼見らをはじめ多くの人々とかかわっていた
信長のもとでは京都奉行をとつとめ、公家・寺社・町の人々とも交流をしています
この一年、大河ドラマと並行して光秀の生涯にスポットを当ててまいります
信長でも、秀吉でも、家康でもない
光秀を主人公に、光秀ゆかりの地を訪ね、年末には仲間と共に、「本能寺の変サミット」を開き、動機解明に迫ってみたいと思います










