天主跡西下の伝二の丸跡にある信長公本廟

重臣・羽柴秀吉は天正11年1月三法師に年賀を表すべく登城し、翌年2月二の丸跡に太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟としました

そして6月2日の一周忌には織田一族や家臣を集め、盛大に法要をおこなった

安土城を象形した菩提

さすが、秀吉は機微や機知に富んでいた

廟の傍に立つ大樹

二の丸の入り口付近

この切株は何か意味がある?

二の丸を退去

織田信雄四代供養塔

一代 信雄(のぶかつ)73歳

二代 高長40歳

三代 長頼70歳

四代 信武85歳

信雄は、信長の次男で、大和宇陀松山藩初代藩主。母は生駒氏の娘・吉乃。晩年は出家して常真と号した

高長は、二代目大和宇陀松山藩主

長頼は、三代目大和宇陀松山藩主

 

信武は、四代目大和宇陀松山藩主。40歳で自殺。長男の信休は丹波国柏原藩に減転封となる