織田信澄邸址、森蘭丸邸址

織田信澄:信長の甥で信忠と同年代。妻は光秀の娘で、丹波黒井城の戦いでは光秀を救援している

森蘭丸:信長の近習で、本能寺の変で2人の弟と共に討死

辞世の句「梅が香を袖に移してとどめおき春は過ぐともかたみならまし」

17歳でこんな句が詠めるんだ

安土城中枢部への主要な入口の一つ黒金門跡

平成5年度の発掘調査では、黒金門付近も天主とともに火災に遭っていることが分かりました

多量の焼けた瓦の中には、菊紋・桐紋等の金箔瓦も含まれていました

壮大な往時が偲ばれる黒金門より先は、信長が選ばれた側近たちと日常生活を送っていた

高く聳える天主を中心に本丸・二の丸・三の丸等の主要な郭で構成されるこの一帯は、標高が180mを越え、安土山では最も高いところになります

東西180m、南北100mに及ぶその周囲は、高く頑丈な石垣で固められ周囲から屹立しています

高石垣の裾を幅2~6mの外周路がめぐり、山裾から通じる城内道と呼ばれています

この黒金門は、城下町と結ばれた百々橋口道・七曲口道からの入り口なのです

安土城中枢部の建物は本能寺の変の直後に全て焼失したため、炎の凄まじさを残す石垣と礎石によって往時の偉観を偲ぶことができるだけです

400年以上にわたって崩れることなく、ほぼ原形を保ってきた石垣の構築技術の高さに驚かされます

お釈迦様の足型

どこかの寺から持ち込んだものなのでしょう