桑實寺は繖山西方の谷間に位置して、観音寺城の西から登城道の途中にあります
石段の築かれた参道には立派な石垣を積んだ坊跡が両側に並び、2院16坊あったという往時の姿を偲ばせています
桑實寺も、六角氏との深いかかわりのもとで中世史に登場しました
戦国の風潮の広がりとともに権力基盤が揺らいだ将軍足利義晴は、戦乱を避けて都を脱出し、六角定頼を頼って近江の各地に寄寓しました
六丁標柱
その義晴が天文元年(1532)前後の数年間を過ごしたのが桑實寺です
七丁標柱
義晴が滞在したのは、室町幕府最後の将軍である義昭が着陣したのと同じ桑實寺の子院正覚院であったと考えられます
義晴はここで婚儀を行うなどしたので、此の地には都の要人が頻繁に訪れ、さながら仮幕府のようであったと言われています
九丁標柱
正覚院滞在中の義晴は、土佐光茂に「桑實寺縁起絵巻」を描かせて桑實寺に奉納しました
堀切
国の重要文化財に指定されているこの絵巻は、現在は京都国立博物館に寄託され、寺には副本がおかれています
十丁ゴールは観音寺城本丸跡です








