春の湖思いを馳せる城址で・・・幸山

発掘調査で下層から検出された遺構としては礎石建物や井戸などがあったが、最も注目されるのは出土した軒丸瓦である

何種類かの軒丸瓦のうちの一つに京都の勝龍寺城跡から出土した軒丸瓦と同笵のものが認められた

勝龍寺城は元亀2年(1571)に細川藤孝によって築かれた城で両城ともに信長の命によって築かれた

おそらく信長の命によって貸与された瓦師によって瓦が貸与されたものと考えられる

天正10年に炎上後、秀吉の命で丹羽長秀が再建

天正11年には杉原家次、浅野長政が城主になる

天正14年浅野長政が棄城し、大津城へ移転

両社川、東南寺川、信教寺川を利用し、内堀、中堀、外堀を配している

光秀句碑

丹波を平定した後、亀山城を築き、横山城攻め、明智にちなんで福智山と改めた

坂本城は廃城となり、木材、石垣石材などは大津城に運ばれたため、城としての遺構は地上にまったく痕跡を残していない

光秀の意地

ところ平成6年の大渇水の際、発掘調査された本丸の東側で琵琶湖の湖底より石垣の基底部が現れたのである

中井均(滋賀県立大学教授)光秀の城参照