ひたすらに謙虚に行ずただ行ずつゆいささかのはからいもなく・・・南山

正面の富士型は八王子山

直下の切り開かれたところが八王子社(牛尾社・三宮社)

厳島神社鳥居

延暦年間に宮島の厳島神社の祭神を勧請したことにはじまる

幸神神社鳥居

見事な灯篭です

延暦20年に勧請、往時は奥成社と称した

石灯籠は江戸時代の奇石の収集家で下坂元出身の木内石亭が、82歳の時に氏神様に寄進したとある

寺社仏閣の多い町でした

坂本城址

元亀2年(1571)9月比叡山延暦寺焼き討ち直後、信長は光秀に滋賀郡支配を命じ、浜坂本(三津浜)に水城を築かせました

琵琶湖を背景に本丸、二の丸、三の丸と三段構えになっていた

ポルトガル宣教師ルイス・フロイスは、5年後に築かれた信長の安土城に次ぐ豪壮華麗な城と称賛しています

坂本城築城の目的は、山門の監視だけではなく、彦根の佐和山城とともに、信長の領国美濃と京都とのルートの確保、水運の重要な拠点とすることなどがあげられます

天正10年6月の山崎の合戦ののち焼失しますが、丹羽長秀により再興されるが天正14年頃、城主浅野長吉の時に大津城に移るまでこの地にありました

昭和54年(1979)の発掘調査で、厚い焼土や建物の礎石、土杭、溝、石垣の基礎石などが見つかっています