天台宗真盛宗総本山「西教寺」

明智光秀辞世の句

順逆無二門

大道徹心門

五十五年夢

覚来帰一元

この総門は光秀が築城した坂本城門を移築したもの

大意:修行の道には順縁と逆縁の二つがある

しかしこれは二つに非ず、一つの門である

即ち、順境も逆境も実は一つで、究極のところ

人間の心の源に達する大道である

而してわが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、すべて一元に帰するものだ

光秀の深い教養と人生哲学が感じられる句である

光秀はこの偈を溝尾庄兵衛に託して自刃した

光秀の深い教養と人生哲学が感じられる句である

境内には坂本城主・明智日向守光秀とその一族の墓がある

1571年9月、信長は比叡山を中心に近江の国の寺院の大半を焼き討ちにした

西教寺も全山類焼の厄に遭った

その後、再興に尽力したのが明智光秀で浜坂本に坂本城を築城し、一帯の復興にあたり、西教寺の大本坊を増築した

山崎の合戦に敗れて非業の最期を遂げ、光秀一族と共に当寺に祀られたと言われている

爾来当寺では光秀菩提のため毎年6月14日に光秀忌を営み供養している

供養塔には、秀岳宗光大禅城定門南無阿弥陀仏と刻まれている

三浦綾子の「細川ガラシャ夫人」に光秀が坂本城主になったおり、妻煕子、末娘玉子(細川ガラシャ)を連れての参詣の様子が描かれている

棟札によると元亀年(1571)信長の比叡山焼き討ちによる本堂焼失後、天正2年(1574)に再興棟上げが行われています

月さびよ 明智が妻の 咄せむ・・・境内に芭蕉の句碑がある

光秀にとって、御ツマキ殿(煕子の妹で信長の側室)に先立たれたことが後の光秀に大きな影響を及ぼしたものと思われます

西教寺はこれまでに3回訪ねており、写真は昨年9月に写したもので、文章は2012年11月13日~16日付け山彦耀ブログより引用しています(紅葉の西教寺を掲載しています)