私はこの命の限り、愛し、書き、祈ったのだから、喜んで死んでいきましょう・・・瀬戸内寂聴

11月17日11:35分、静原集落を行く

大木

静原町の背後の城谷山静原城跡がある

文明年間(1469~87)小倉山城主・山本佐渡守尚親が支城で築いたとも、2年後の山本対馬守資幹が明応年間(1492~1501)に築いたともいわれる

記録上では室町時代の『兼右卿記』に、弘治3年(1557)三好長慶が山城国50余郷に賦役を課して築城し、土豪山本氏が守備したとされる

元亀4年(1573)10月8日、織田信長の命を受けた明智光秀の攻撃を受け、3ケ月の攻防の後落城した

静原はコスモスの名所としても知られる

薬王坂弥陀二尊像(貞治3年8月3日願主 尼蓮性)

1364年南北朝時代後期のものと解説あり

明智光秀が足を踏み入れた静原城は地図の真ん中

薬王坂から天ケ岳へは登ったことがない

静原と鞍馬を結ぶ薬王坂

立ち休憩