嵐山亀山公園にある「角倉了以」銅像
翁(本名:与七)は天文23年(1554)生まれ
徳川家康は慶長8年(1603)幕府を開き、続いて駿府城に政経文化の中枢審議機関(シンクタンク)を設置して、京都から翁を迎えた
慶長11年:保津川大堰川の開削完成
慶長12年:富士川疎通完成
慶長13年:天竜川開削、鴨川の疎通実施
慶長16年:高瀬川の開削完成
慶長19年:60歳にて没す
津崎村岡局(幕末の勤王家)の銅像
天明6年(1786)嵯峨に生まれ、父は津崎左京
近衛忠煕に仕え、村岡局と名乗った
尊王攘夷派の近衛卿や西郷隆盛らの運動を助け活躍した
安政の大獄で捕らえられ、永の慎に処せられる
その後、北嵯峨野直指庵に隠居、子女の教育に尽力した
維新の女傑といわれたが、晩年は嵯峨庶民の慈母でもあった
明治6年、88歳で没した
紅葉を見下ろす場所に立っています






