わが国の未来を拓く内之浦
3日12:06分、内之浦「網元」で昼食会
創業40年の活魚料理店で、伊勢エビの踊り食いが人気
昭和35年10月、内之浦を訪れた糸川英夫と東京大学生産技術研究所の下村事務官が久木元町長に、「この地にロケット発射の実験場を作りたいので協力して欲しい」と要請する
山頂を削って台地とし、そこから出た土で道路を作るという、奇想天外な構想であった
起工式から完成まで内之浦町婦人会が、糸川の構想に理解を示し、惜しみない協力を行った
工事の進捗が遅れた時は、婦人会が立ち上がり、土木工事に従事し、開所式を無事迎えたという
糸川が目指していた「地域と基地の共存」で、それまで陸の孤島と呼ばれた内之浦は、「世界でも、内之浦ほど住民との交流が深い発射基地はない」と称されるようになった
昭和42年3月、糸川は人工衛星への夢半ばにして東京大学を退官、平成11年2月21日長野県丸子町で永眠(86歳)
平成15年5月に打ち上げられた小惑星25143は、糸川にちなんで「イトカワ」と命名された






