比叡山横川中堂

比叡山は三塔十六谷三千坊からなる大寺

三塔とは、東塔、西塔、横川(よかわ)中堂

西塔から北へ4kmほどのところにあり、第3世天台座主慈覚大師円仁(世界三大旅行記・入唐求法巡礼行記の著者)により開創

遣唐使船をモデルとした舞台造り

比叡山は、近江国分寺で得度し、東大寺の戒壇院で具足戒を受けた最澄が理想の布教地を求め、延暦7年(788)に山上に庵を結び、自ら刻んだ薬師如来像を安置したのが始まり

桓武天皇の平安遷都に際し、御所の鬼門である最澄の草堂が国家鎮護の官寺に選ばれ、最澄は天皇の侍僧の一人に加えられた

延暦23年(804)に唐に渡り、翌年帰国し天台宗を開き「一乗止観院」を「根本中堂」に改称

延暦寺に改名されたのは弘仁14年、最澄の死後である

最澄のあと、比叡山からは法然、親鸞、道元、日蓮などの名僧、高僧を数多く輩出している

元亀2年(1571)、信長の焼き討ちにより全山すべてが焼き払われた。僧侶や坂本から逃れてきた一般人を合わせると二千人以上の人々が惨殺されたという

焼き討ちで焼失した横川中堂は豊臣秀頼により再建されている

現在の建物は、昭和17年落雷により焼失したものを、昭和46年に建造されたもの

 

横川中堂は遣唐使船を真似た舞台造りで鮮やかな朱塗りが目を引く

 

横川中堂鐘楼

参道を行き交う人々