比叡山焼き討ち拠点「宇佐山城」

三石山へ向かう稜線上にヒノキの若木が植えられ、ネットで保護されていました。数百年後の成長をみるのは数十代も先の人になりますね

比叡山焼き討ちに際、八王子山の南約4.5kmにある宇佐山城を拠点とした

ここからは下りとなります

元亀4年4月、信長は越前の朝倉義景を攻めたが、浅井長政の離反により失敗

鉄塔の辺りから登りです

体勢を立て直すため岐阜城へ戻り、宇佐山城には森蘭丸の父・可成を配し、朝倉・浅井軍に対する守りを固める

マイナーなコースのため歩く人は少ない。八王子山で出会った人たちは坂本からのピストンでした

同年7月、三好三人衆の摂津進行に対して信長も摂津へ出陣。その隙をつき、連合軍は湖西を南下する

三石山に向かう人はいませんでした

宇佐山城を守っていた森可成は、その進軍を止めるために出陣し、討ちとられてしまう

通行止めの鎖を跨ぎ左への登りへと進みました

それを知った信長は摂津から戻り、連合軍と対峙し、年末に和睦する

見上げるとアケビの蔓にたくさんの実がぶら下がっているではありませんか

翌年、明智光秀が宇佐山城に入り、比叡山焼き討ちにため、地元の土豪を懐柔するなどの活動を行っていた

さらに左の脇道にとります(小さな標識が立っていますが見落としがちです)

宇佐山336mの山頂には宇佐山城の遺構が遺る(テレビ塔が目印)

少し入り込むと踏み跡は消えました

近江神宮に隣接する宇佐八幡宮の参道から登ることができる

仕方なく山頂方面へ目検討で進んだところ、防獣ネットが張られていましたが、1ケ所に穴があけられていました

南北に細長く伸びる尾根上に、北から三の丸、本丸、二の丸、その周囲に小規模な廓がある

檜の樹林帯を山頂へ向かいます

石垣も随所にあるが、高いものは現況ではあまり見られない

北方より眼下に今道越(山中超)が一望できる

陽当たりがよくないのかキノコをよく見かけました