孫子に学ぶ「勝者」の条件

武田軍団はなぜ強い

玉の汗夜泣峠で一休み・・・幸山

 

守谷神社から鞍馬川支流の谷間に設けられたコンクリート階段を登る

武田軍団の構成は、信玄直属の有力な家臣を寄親とし、その下に寄子・同心などが付属する寄親・寄子制を根幹としていたが、寄子・同心の多くが地侍や中級以上の農民であった

崩落しており迂回路を進みます

彼らは平時、自分の領地や農村に住んで農耕などに従事し、合戦がある時だけ、武具を着けて寄親の指揮下に入る

暑さと湿度の高さで玉の汗が噴き出しています

だから、彼らにとって合戦は生産活動を妨げる一つの障害でもあったわけで、そのため合戦が連続すると、彼らの間から不満の声が噴出することもあった

倒木が道を塞いでいます

戦国最強の軍団といわれた条件の一つに信賞必罰を厳に行い、普段から軍律を徹底することで、将は兵士を自在に動かした。人心掌握は、強兵の捷径である

普段はすいすい登られるS・Y氏も早々と一服です

強兵を目指す時、将帥の器量というものも閑却してはならない

峠では休まず、遅れを取り戻すため通り過ごします

将帥に知識・信義・仁慈・勇気・威厳などの器量が備わっていれば、従う部下の士気も自ずから奮い立ち、鋭気が軍団にみなぎりわたる

夜泣峠:惟孝親王と乳母がここで一夜を明かしたとき、地蔵に願をかけて夜泣きを止めたと言われています

勇将の下に弱卒なしの喩え通り器量に優れた将帥の存在も、やはり強兵のための不可欠の要因である

汗かきのY氏は扇子をあおぎ続けます

信玄麾下には、俗に武田二十四将と総称される多くの優秀な武将がいたが、彼らは信玄の手足となり、その意をよく汲んで、組織編成や指揮系統の整備確立に多大の貢献をした

トレイルランの若者が通り過ぎて行きます

将帥の器量という点でも、信玄は生来的に傑出したものを持っていた

若さが羨ましい!(^^)!

それに加え、禅を修めたり文学に親しんだりというふうに、常に自身を磨く努力を怠らず、ついには自身をカリスマ的地位に押し上げることに成功した

ピークにたどり着きましたが先行隊の姿はありません

信玄の強兵づくりは、弱点を抱えながらも、一つ一つが「孫子の理にかなっており、戦国最強の軍団へと変身した

色文字は、昭和58年7月号「プレジデント」より抜粋

to be continued