橘の寺の長屋に我率宿し童女放髪は髪あけつらむか・・・万葉集巻16・3822

かって橘の長屋で共寝した少女は今はもう大人になっていることであろうといって、人を懐かしく思い出す歌

日本書紀によると、11代垂仁天皇の時、田道間守(たじまもり)は勅命を受けてトコヨの国(中国雲南省か)へ不老長寿の薬を求めて行った。10年の長い間苦労してようやく秘薬を探し求め持ち帰ったところ、天皇はすでにお亡くなりになっていた。その時に持ち帰ったのが「トキジクノカグノコノミ」といい、この実を当地に蒔くとやがて芽を出したのが橘(ミカンの原種)で、それからこの地を橘と呼ぶようになった

初夏に花が咲き、秋に実をつけるムラサキシキブ

花言葉:上品(平安美女の紫式部に譬えた)

橘の地名となった蜜柑

一面に咲く銀杯草

三輪山467mと巻向山567m、初瀬山548m

太子は大変深く仏法をご信仰になり、自ら仏典の講義をされ注釈を加えられたのが三経義疏(さんきょうぎしょ)で、現在も保存されている

法隆寺の金堂日記の中に「橘寺より小仏49体、承暦2年(1078)10月8日迎え奉った」と記されており、玉虫厨子を移したのもこのころではないだろうか

1148年5月15日落雷により五重塔焼失

心礎直径90cm、深さ10cmの柱が入る孔があり現存すれば38mの高さとなる

橘寺、昔は法相宗であったが江戸時代中期より天台宗とな比叡山延暦寺の直末で仏頭山上宮皇院橘寺、別名菩提寺とも言われている

明日香川瀬々の玉藻のうちなびき情けは妹に寄りにけるかも・・・巻13-3267作者不詳

明日香川の瀬々の玉藻がうちなびくように、心はあの娘になびき寄ってしまった