11日、大和八木駅前の「かしはらナビプラザ観光センター」に神武東遷に使用された「おきよ丸」の模型が展示されていました。急遽夜の明けきらぬ中の出立となり、驚いた村人たちは手分けして家々を回り、寝ている人々を「起きよ!起きよ!」と起こして天皇の出立を見送りました。そのことから天皇がお乗りになった船を「おきよ丸」と呼びました

われ東の方へ向かい、わるものどもを討たうと、日向の高千穂をでかけてから、恰度六年になった。先祖の神々様の御助けを受けて、賊共を打ち平らげたけれども、少し離れた国々には、まだわるいものが居て安心できない

元来、天皇が政をとり行ふにも、必ず其の時と、其の世のありさまに合わせてすべきである。それで、なんでも大御宝(おほみたから=国民)のために、第一幸福になる事であったなら、すべて天皇たる務にはかなはぬ事はあるまい

とにかく、山林を切り開き、宮を造って、謹んで天照大神の御授けになった天津日嗣(あまつひつぎ)の位に即いて、わが宝である国民をよく治め・・・中略

天孫瓊瓊杵尊が正しい道によって国を御治めになった御心をうけ継いで・・中略・・・国という国はどこでも、皆自分が治めている家の内と同じことであらう。畝傍山の東南、橿原の地は、まあ国のまんなかで、あるとあらふか、ここに都をつくらう