14:57分、八瀬ケーブル駅

酒井雄哉師(北嶺大行満光永覚道大阿闍梨)の写真が飾られてありました

天台教学の奥義を記した「摩訶止観」・常行三昧の中に「年々歩々唱々」という言葉があり、これこそ回峰行の神髄を的確に述べたものである

回峰行とは、身口意の三業をととのえることを目的とし、身は比叡山三十六谷の諸仏諸菩薩を巡拝しつつ、口に慈救咒、心は禅定に入らねばならないのである

行というものは、身体だけで行ずるものでもなく、観念だけで行じられるものでもない

三業の一つが欠けても、行は成就できないのである

私は、今日でもそうであるが千日回峰行中、多分にマスコミ嫌い、写真

嫌いであった

その理由は「歩行禅」として行じさせていただいた回峰行の本質が忠実に伝えられるかどうかの懸念と、個人的な写真嫌いであるということであった

けれども新進気鋭のカメラマン・打田浩一氏との不思議な出会いはさまざまな懸念を払拭させるものであった

彼の回峰行に対する態度は、興味本位のあつかましいカメラマンのそれではなく、もとより千日回峰行の写真集発行を第一目的としたもので

もなかった

凄まじい台風の惨劇

千日回峰行の過半を共にした彼の態度は回峰行の本来の意味をまことによく理解し、終始変わらぬ真摯なものであった

今回、私の千日回峰行と取り組んだ彼の数年間のカメラワークの集大成である写真集「回峰行」の発行によって、「歩く行」という従来の回峰行のイメージから、行の趣旨である「礼拝行」としての回峰行の位置づけをしてくれるものと信じて疑わない