5月18日16:01分、大峯山寺に参集された山伏の皆さん

修験が験力を得るための修行、体力や精神力に加え、修験者は薬草の知識を身につけたり、瞑想、写経、水行などにも取り組んだ

 

平成2年6月14日、今上天皇が皇太子の時に登られた「御登山記念碑」

山上ケ岳山頂から南東に約2キロ離れた小篠宿は真言宗系の修験者の場所で、かっては多くの宿坊が立ち並んでいた

明治時代の修験道廃止令で修験者が減って荒廃したが、現在も建物跡の平地や石垣が棚田のように残り、小川も流れている

本堂近くでは、中国で作られた「銭弘俶塔(せんこうしゅくとう)」と呼ばれる金属製の小塔の一部をはじめ、考古遺物が発見されている

都の寺で国家安泰を祈っても、それだけでは不足で、吉野の山中で修行を積んだ

大峯山が修験の姿を守り続けてきたのは、洞川の人々の祈りと護持の努力があったから

レンゲ辻分岐

洞川のアイデンティティともいえる貴重な遺産である

この先は急坂で梯子場、クサリ場が続きます

大峯山の考古学的な調査は昭和59年から行われた大峯山寺本堂の半解体修理に伴う発掘がきっかけとなり、奈良県山岳遺跡研究会の結成で急速に進んだ

この標識は有難いですね(^_-)-☆

大峯山と弥山山頂では8世紀後半の須恵器片が採取され、開山をその時代までさかのぼらせることができたという

真っ直ぐ進んだところが山頂の湧出岩です

山頂お花畑では寒くて震え上がりました

大峯山寺本堂

※奈良新聞「山の考古学研究会・記念講演会」参考