4月14日13:18分、蹴上「インクライン」(傾斜鉄道)

ここを三十石船が往来した

インクラインは、蹴上船溜(ダム)や南禅寺船溜に到着した船から乗り降りすることなく、この坂を船ごと台車に載せて昇降させる目的で建設されたもの

明治27年には伏見区堀詰町までの延長約20kmの運河が完成し、この舟運により琵琶湖と淀川が疎水を通じて結ばれた

この日は外国の方を多く見かけました

この運河の完成により大阪や北陸からの人々や物資往来で大層にぎわい、明治44年には渡航客が13万人を記録した

大正4年に国鉄東山トンネルが開通、大正10年の山科駅の開設により、京津間の足としての疎水の機能は実質的に失われることとなった

意外な桜の名所です

大正14年の貨物輸送量は22万3千トン、1日150隻を記録している

やがて陸送化が進み、昭和26年9月、砂を積んだ30石船を最後に、疎水舟運60年の任務を終えた

大津から京都を結ぶ東海道の難所であった逢坂山や日ノ岡峠道は、旅人や貨物運搬にとって悩みの種であった

琵琶湖から水を引き、その水路を利用して舟運を興すとともに、田畑を潤すことが古くは平清盛、豊臣秀吉の時代から願望として伝承されてきました

蹴上発電所

明治2年の東京遷都以降衰退する京都経済の復興策として京都府三代目知事北垣国道、青年技師田辺朔郎、測量士・行政関係者の尽力により、明治18年8月疎水開削工事に着工した

ねじりまんぽ(雄観奇想:北垣国道筆・素晴らしい眺めと優れた考え)

明治21年、調査委員が訪米しアスペン銀鉱山を視察した結果、インクライン動力源を水車動力から電力使用に変更され、事業用としてはわが国初の蹴上発電所を建設することになりました

蹴上トンネル

世界最長のインクラインに25kw、時計会社に0.75kwなど産業用、電灯用として活用されました

山登りをしながら、その土地の地理や歴史を学ぶことは実に楽しいものがあります