梧陵により復興した広村の図

濱口家に逗留した黄仲祥が描いたもの

黄仲祥:本名横山雲南(1813~1880)で島根県三刀屋町生まれ。父の医師・宗甫について儒学を学ぶ。風外禅師に画法を習い、南画に転じる。易学・彫刻・詩書・歌を愛した。堤防完成後3年ばかり濱口家に滞在した

被災時の広村は340戸で、地震での倒壊は1戸であったが、津波により村全体が浸水したが梧陵の機転により97%の村人が助かった(死者36人)。逃げ遅れた9人が闇夜の中、稲むらの火に導かれて命を取り留めました

徳育は人格をつくる骨格

たとえ主人といえども少年時代に遊び暮らすことを許さず

自ら困難に立ち向かう態度を養い

人を率いる道理を得る

今や世界の大勢は互いにその門を開き合っ交際することにある

見習わなければならない梧陵の人格

世の中になさけをかけし君が名は広の川橋ひろく知られむ・・・海上胤平

住民百世の安堵を図れ

村人救済のため仮小屋の建設、架橋や道路等のライフラインの復旧、大堤防の築堤により子々孫々の安全保障をしたばかりか、被災した村人の就労と租税免除をも兼ねる優れた津波防災事業にあります

こうした経世済民の活動も、梧陵にとっては単なる善行や機転などという次元ではなく、その全人格という信念からなしえた必然の行動というべきでしょう

修身斉家 治国平天下

嘉永6年(1854)、江戸・銚子より広村の親戚に宛てた梧陵の書簡

済世安民

大久保利通の書簡