我に才略無く我に奇無し、常に衆言を聴きて宜しきところに従ふ・・・松平春嶽
ともに泣き、ともに笑ってくれる人。苦楽をともにした同士の共感が勇気を与えてくれた
一生懸命前向きに頑張れば、結果については楽天的になれる
赤文字は、日経「私の履歴書・石原邦夫」より
27日11:15分、御殿山コース急坂を登る
麓の葛川地区は寛文2年5月1日(1662年6月16日)、マグニチュード7.5前後と推定される琵琶湖西岸地震が発生しました
かなりの勾配があり、雪崩に注意が要りますね
琵琶湖西岸の花折断層北部と若狭湾沿岸の日向断層を震源とする2つの連動する地震で、
踏み跡が固められているのでアイゼン装着で十分でした
死者700人~900人、倒壊家屋4000~4800棟に及んだ
新雪が降った後だと、道を開くのにワカンやスノーシューは必携です
坊村の隣・榎村と町居村は、奈良岳の崩壊によって560名が生き埋めとなり死亡した。生存者は37名であったと伝わっている
昔は炭焼きが行われていたでしょう
村を襲った大量の土砂は安曇川の流れを堰き止めて天然ダムを造り新たな災害を発生させました
標高500mくらいまでは人工林帯で、林業が盛んだったことが窺える
これにより隣村である坊村は集落の大半が水没した
修験道が盛んな頃は登る人が多かったようです。今は登山者に移り変わっているようです
『明王院文書』によると、葛川明王院の境内まで水位が達し、坊村の屋敷などが残らず流失したと記されています
急坂に雪道、だいぶ堪えているようです
この寛文地震の被害を今に伝える「町居崩れ」跡は葛川梅ノ木町にあります
S君は倒れ込んでいます
東側の山頂付近から山の斜面をえぐるように大きな地形があります
お父さんにザックを担いでもらっている
「イオウハゲ」と呼ばれる「町居崩れ跡」で長さ700m、幅650m、比高360mの大規模な山崩れの痕跡が現在も確認できます
※このページの写真が「イオウハゲ」の一部に入っています
後ろから等間隔で登ってくる御仁
滋賀県は大規模な災害が少ない地域と思われがちですが、歴史はこの地がたびたび巨大震度に襲われたことを教えてくれます
11:30分、846m稜線分岐
琵琶湖が百万年間も現在の位置に存在し続けるメカニズムは、河川から流入する土砂で埋まりきる前に、数百年周期で起こる大地震によって湖底が沈降するためとする説が有力です
青文字は、滋賀県文化財保護協会作成文書より











