四季歌(四季の変化を読む歌・・・春)
♬梅が咲き 若菜が萌え 霞が立ち
桜が咲き 桜が散る♬
季節の運行を詠むことによって、天皇の治政を寿ぎ、宇宙の運行が秩序だって行われていることを寿ぐ歌です(氷室神社報より)
氷室神社の創建は、和銅2年(709)元明天皇の勅書によって氷室を御蓋御料山に移し、闘鶏大神を祀り、諸国に製氷技術を教えたことに始まる
中がくり貫かれた氷柱が供えられていました
大和国造本記には、大宝元年(701)に藤原不比等が文武天皇の勅を奉じて福住から遷座し、平城遷都の和銅3年夏に風神(志那都彦大神)を移し奉り、神亀4年(727)官命により、内裏の大鶓鷯命(おおささぎのみこと=仁徳天皇)と額田大中津彦命の二座を合祀したといいます
和銅3年に、天武・持統両朝において例幣として知られる竜田風神を合祀したという伝承や、藤原不比等が氷室社創建に関与していたという伝承から、平城鎮護の社として創建されたと思われます
養老4年(720)に成立した『日本書紀』には、応神天皇の皇子・額田大中彦皇子が闘鶏(つげ)に猟をなされた時、野中に窟(むろ)を見つけ、稲置大山主から氷室の構造や氷の利用法を聞き、仁徳天皇に献氷されてから、氷室の制度が始まったという氷室伝承が書かれています
大和国造本記には、「山階坐氷室分魂神社」(やましなにいますひむろわけみたま)という社号を掲げ、「春日神社」「元春日社」「春日下神社」という別称を記載しています
これは、もともと「春日」といえば春日大社だけを指すのではなく、氷室社も春日神といわれていたことを示しており、「延喜式神名帳」の大和国添上郡にある「春日神社」は氷室社のことと思われます
拝殿は、「南都氷室神社縁起」に芝舞台として描かれていますが、寛文5年(1665)徳川幕府によって造立されたものである
舞殿を兼ね、舞楽の上演に合致した形式になっており、現在も南都流の舞楽を継承する南都晃耀会が日常の練習や例祭に舞楽を舞っている
唯春ハ春日ノ野辺ニ霞トトモニタチイデテ、竜笛ヲ嘯(うそぶい)テ日ヲクラシ、秋ハ三笠ノ森ノ月影ニサソワレテ、賀舌(篳篥の舌)ヲ含テ夜ヲアカシ・・・と教訓抄の序に書かれています(南都楽人・狛近真)







