興福寺は、藤原鎌足夫人が山背国に創建した山階寺(やましなでら)が起源
小学校3年生から中学3年生が一文字ずつ書き上げた漢字
その後、飛鳥に厩阪寺として移転され、さらに平城遷都に伴い現在地に移転され興福寺となった
法相宗の教えを説いたものでしょうか?
最盛期には175余りの堂塔や建物を持つ大寺だった
興福寺さんに電話でお尋ねしました
⇒毎年4月に行われる文殊会で地元の書道教室に通っている子供さんに一字ずつ書いて頂いているとのこと
大乗仏教の経文の一節とのことです
天智8年(669)、藤原鎌足の重い病の回復を願って、鏡女王(かがみのおおきみ)により山背国に建立された山階(やましな)寺が前身
壬申の乱により都が大津から飛鳥に移ると、厩阪の地に移建
さらに和銅3年(710)、平城京遷都に伴い、藤原不比等によって現在の地に移建され、興福寺と名付けられた
以後、藤原氏の氏寺として繁栄の一途をたどりました
春日神社イチイガシ巨樹
春日大社境内には幹回り3mを越えるものが多くみられる
秋の野に吹きたる花を指折りかき数ふれば七種の花・・・山上憶良










