8:59分、高安城倉庫址に向かう
山頂付近に戦時用の倉庫が6棟も築かれていたことは驚きだ(^^)/
西暦660年、唐と新羅は連合して百済を攻め滅ぼした。救援を求められた斉明天皇や皇太子中大兄皇子は九州へ向かったが、天皇は急死、日本水軍は白村江の戦いで唐の水軍に完敗した
礎石に立っていただきました(想像図では高床式の建物)
天智天皇は667年、近江大津宮に遷都。そのいっぽう、高安山に高安城を築き、対馬の金田城、九州大宰府を守る大野城や基肄(きい)城、瀬戸内の屋島城などと並ぶ日本防衛のための大規模な古代山城を築いた
木津方面の山並み
1300年たった今、高安城を探る会が倉庫址礎石六棟分を発見、城の所在地を確認した
2号棟礎石
築城後、畿内の田税(たちから)である穀(もみ)と塩を蓄え、非常時に備えたが、672年の壬申の乱で倉庫は炎上、その後、天武・持統天皇の時代に修築され、文武天皇の701年に廃城となったと、
日本書紀や続日本記に見える
この寒い時期に苺がたくさんありました。とても甘くて美味しいのにびっくり(^^)/
この倉庫址は六棟の内の2号棟で、昭和57年3月橿原考古学研究所が発掘した
礎石の下から平城京跡で発見されているものと同じ暗文(あんもん)入りの盤(大皿)や杯(つき)が多数出土した
この土器の年代から、これらの礎石は奈良時代前期、720~730年代のものと判明した
3号棟も昭和58年3月に発掘され、同時期と判明した
ただ、ここでは礎石を取り巻く形に掘立て柱列がめぐっているのが発見された
古代の風を体感してまいりました
A班の皆さんはご覧になれなかったようです(>_<)
国を護るため天智天皇が腐心したことがよく分かりました<m(__)m>











