「停」・・・神戸市在住I・H氏

踵骨棘で本格的な山登りが出来ない停滞の一年でした。年を取るのが停滞してくれれば良いのにと思いますが、なかなかうまくいかないものです。年齢的にブランクが空くと元に戻るのが難しいように感じますが、ぼちぼち努力していくつもりです。来年もよろしくお願いします<m(__)m>

11月24日14:55分、湖東三山「松峯山・金剛輪寺」を訪ねました

神仏霊場滋賀三番、近江西国第十五番札所、びわ湖百八霊場第六十三番、湖国十一面観音第十一番霊場、近江七福神霊場

天平13年(741)、聖武天皇の勅願時として、行基菩薩が開山

本尊「聖観世音菩薩」は行基の作といわれています

以来、天下泰平の祈願寺として栄え、学問僧が多く集まり、嘉祥年間(850)には延暦寺の慈覚大師が来山

密教修法と西方阿弥陀仏の信仰を初めてご教化になり、天台の大寺となりました

寿永2年(1183)には源義経が義仲を追討せんとして近江に来たり、当山に参籠十数日、武運必勝を祈願し、太刀を寄進しました

寛元4年(1246)には三重塔が創建されました

歴史にのこる文永・弘安の役には鎌倉の北条時宗が佐々木頼綱の命じて近江国中の祈祷寺社に元軍降伏の祈願を修せしめました

当山長老・覚賢は、衆僧を励まして大祈祷を厳修しましたところ、元軍は大敗し、時宗は凱歌を挙げ、日本国中はじめて安堵いたしました

近江守護役・頼綱は弘安11年(1288)、当山本堂大悲閣以下を再興して、観音様の霊験に感謝いたしました

現在の本堂大悲閣がそれで、実に700年をこえる歴史をもつ大堂で、鎌倉期和様建造物の代表的なものとして国宝に指定されています

国宝三重塔は緑樹繁る山腹に位置し、参道には千余りのお地蔵さまが厳座されています

別名「待龍塔」とも呼ばれています

昭和53年、江戸末期に荒廃した三重塔復元大修理が完工した

昭和39年東京オリンピックには日本建造物の代表選手として、文部省が十分の一の模型を作成、東京国立博物館に展示され、世界の人々の注目を集めました

創建時、当山は東西南北四谷に分かれ、それぞれの坊舎が甍をならべ、その数は百余とされ盛なることでした

現在でも参道沿いに坊跡をみることができます

数多くの仏さまが諸堂に安置されていますが、「建暦」「貞応」等鎌倉初期の銘を有するものも多く、十四軀が国の重要文化財に指定されております

応仁の乱後は佐々木六角氏や京極氏が時々宿陣し、戦時には兵糧米、軍資金を強請されること度重なり、当山においても、弓矢を持ち、

自衛しました

山中に城山という所があるのは、当山衆徒砦跡であります