永禄3年(1560)、大和の国を制圧した松永久秀は、信貴山城を大和支配の拠点とした

信貴山城址石塔の傍にある巨樹

永禄6年には一時的に筒井氏の手に渡ったが、同年中に奪還

信貴山城跡図

双耳峰で、北峰437m(雄嶽)・南峰400m(雌嶽)が記されている

永禄11年、三好三人衆との政権抗争で三好康長に攻め落とされた

10:58分、信貴山城址

しかし、同年9月に足利義昭・織田信長の上洛により、義昭の援軍を得て信貴山城を奪還した

11:05分、信貴山頂から葛城・金剛を展望

天正5年8月、信長に謀反を起こし久秀は信貴山城に籠城した

空鉢護法堂前

信長は松井友閑を信貴山城に派遣して翻意を促したが、久秀の意志は固かった

空鉢護法堂は、信貴山縁起絵巻にもある通り、空鉢を飛ばして倉を飛びかえらせ、驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事に由来している

信長はやむを得ず、9月29日信貴山城攻撃のため出撃した

山頂に龍王の祠を建てて以来、多くの参詣者から、「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されています

10月3日には、織田信忠に率いられた織田方の軍勢が城下を焼き払い、9日には信貴山城に火の手が上がる

二上山、岩橋山、葛城山、金剛山系の眺めは素晴らしい

久秀は「天主」を自焼して自ら命を絶った

この眺めを皆さんにゆっくり眺めてもらいたい

昼食タイムを1時間とり、眺望を満喫いたしました

これ以後、信貴山城が使われた形跡はなく、廃城となった

御真言「おんべいしらまんだやそわか」

曲輪の数は110以上あり、奈良県下最大規模の中世城郭である

奉納鳥居がたくさん立っています

本丸跡には4層の天守櫓が建っており、伊丹城につぐ日本で2番目に建造された天守

お湯が備え付けてありましたので、コップ一杯いただきました

信長も安土城天守築城の際、信貴山城を参考にしたのではないかと思われる

奉納された鳥居が立ち並ぶ

松永久秀は築城の才覚も備わっていたといわれている

南ルートを朝護孫子寺へ向かいます