日本一の山城「高取城」

巽高取雪かと見れば雪でござらぬ土佐ノ城

天正期以後の整備・拡張により『芙蓉城』と呼ばれた

豊臣秀長の重臣・本多利久が城主となり、天守閣・石塁などの本格的な築城が進められた

郡山城を本城とし、高取城を詰城、控えの城として、最後の一戦を決すべき拠点として重視されていた

1640年、幕府大番頭・植村家政が藩主となり、以後14代228年続いた

世が太平になるにつれて山上の生活が不便となり、城下町に下屋敷、即ち藩主の居住並びに政庁がつくられた

明治維新の後、明治政府は58城を残し、144城の廃棄を決めた

郡山城、高取城も廃棄となり、高取城は明治6年の入札により、大部分が寺院などに売却されたと思われる

人里離れた山頂にあるため、完全に近く遺構をとどめており、昭和28年に国の遺跡に指定されている

春は桜、秋は紅葉の名勝でもある

八幡神社への階段

鎮護すべき藩主と城を失った社殿の一部

八幡神社の裏道