般若心経を生きる・・・青木擴憲⑤

ここに目標を置けばいいわけである。私はたまたま縁あって紳士服を始めた。だから紳士服のビジネスで世の中のお役に立とうと考えたのである

9月2日12:30分、飛騨高山

名物「手打ち蕎麦」で昼食

紳士服というものは、アメリカなどでは簡単に変える。しかし日本では買いにくい

3:07分、全国に唯一現存する郡代・代官所「高山陣屋」

元禄5年(1692)、徳川幕府は飛騨を幕府直轄領とした。以来明治維新に到るまで177年に25代の代官・郡代が江戸から派遣され政務を行いました

買いにくいものを買いやすくするためには、流通の仕組みを変えなければならない

大床「青海波」、右は花もち

流通の革新、流通の革命が必要だ。こうして私のビジネス、人生における新たな目標が設定されたのである

長安之碑林

「終生の師」との出会い

さて、社会性の追求を目的に動き出した私であったが、やがて試練がやってきた

波紋「火鉢」

私にとって、何度目かの大きな危機であった。良いものを廉価で提供するためには、大量に作らなければならない

時間のあるときに解読しよう

しかし同時に、大量の店舗が不可欠なことは明らかだ

蔵番長屋との間にある庭

血気に逸っていた私の読みは非常に甘かった。確かにメーカーへの大量注文で、良いものが安く大量にできた

李白が阿倍仲麻呂を読んだ詩

しかし、それをさばくだけの店舗を持っていなかった。当時の私の能力は、せいぜい4000着を売る程度

解説文(とても分かりやすい)

それなのに、私は二万着も仕入れてしまったのである

演奏会が行われていました。後ろの文字が気に入りました

1977年のことで、ちょうど石油ショックの後遺症の時期でもあり、資金繰りは困難、在庫過剰、私はにっちもさっちもいかなくなってしまった

旧家

言葉では言い尽くせない苦しい日々が続いた。そんな折、私は、友人の紹介で信州飯山にある臨済宗の名刹「正受庵」の門をたたいた

奥穂高岳未踏記念

それが私の終生の師となった酒井盤山師との出会いであった

旧高山役場

座禅が終わると、私たちは、盤山師の『般若心経』の講話を聞いた

雨天のため登山は途中で撤退となり、観光旅行となりました

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued